にはねこの人生一周目ブログ

元場面緘黙の内気で不器用な主婦の生き様をひっそりと発信しています。

「私がいても、いなくても」

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<ご注意ください>

この記事は、本のネタバレを含んでいる部分があります。

 

「自分は、いてもいなくてもいい存在だ」と悩んだこと、ありますか?

 

「私がいても、いなくても」は、私が学生時代に何回も読み返した、いくえみ綾先生の漫画で、

「親に愛されなかった」と感じている女性が主人公です。

 

いても、いなくてもよかった学生時代

私がこの漫画を手に取ったきっかけは、タイトルの「私がいても、いなくても」に共感したから。

 

学生時代の私は、場面緘黙で学校で一言も発することができませんでした。

 

何の発言もしない私は、まるで空気のような存在で、学校も楽しくない、友達もいない、

趣味も、楽しみもなく「自分なんて消えてしまえばいいんだ」と思っていました。

 

「こんな性格になったのは、きっと親のせいだ」と親を恨んでいました。

 

主人公が出した答え

この漫画の主人公も、母親に愛されなかったせいで不甲斐ない人間になってしまったと思っている女性です。

仕事も、恋も、友人関係もなんだかうまくいかない。

 

そんな中で主人公が最後、母親との関係について

「誰が悪いとか、考えるのはやめます」って言うんです。

 

最終的にたどり着いた答えが、「過去を責めても意味がない」ということだったんですよね。

 

当時学生だった私には衝撃的で、

「私も、親のせいだとか言ってもしょうがないのかもしれない」と考えるきっかけになったんです。

 

どんなに恨んでも、後悔しても過去は変えられない。

何が悪かったとしても受け入れて生きていくしかないんですよね。

 

 

物語自体は学生時代の私にはちょっと難しかったんですが、

今改めて読んでみたら、また違う見方ができるかもしれませんね。

 

いくえみ綾先生の絵とか漫画の感じも好きです。

昔の漫画ですが、電子書籍なら読めるところがあるので、もしご興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。

くせ毛と私。

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勝手な憶測ですが、「自分の髪質が気に入ってる」って言う人は少ないと思います。

私は自分のくせ毛がずっと嫌でした。若い時は特に。

 

学生時代のコンプレックス

中学校や高校では特に、みんなストレートパーマをかけたりして、

とにかくみんな「ストレートじゃないと!」って感じでした。(今の若者は違うのかな?)

 

私もなんとかしてストレートヘアになりたくて、

毎朝ヘアアイロンをかけて学校に通っていたんですよね。

 

でも、朝の支度に時間がかかるし、雨の日や湿度が高い日は髪がうねってきて最悪なんです。

それで、大学入学をきっかけにストレートパーマをかけることにしました。

 

毎日アイロンしなくていいし、雨の日も気にしなくていい。

「ストレートヘアの自分」も気に入っていました。

 

くせ毛で悩むこともなくなりました。

 

髪質と向き合うきっかけ

それからずっとストレートパーマをかけ続けてきましたが、

結婚し、引っ越した先でなかなか良い美容室が見つけられませんでした。

 

そこで、セルフカットに挑戦してみようと思ったんです。

セルフカットの方法を動画サイトで探す中で、「くせ毛を活かす」方法に出会いました。

 

その人たちが言うには、一見ランダムで美しくないくせ毛でも、

お手入れの仕方次第でパーマをかけたようなきれいなウェーブやカールになる、と。

 

「私の髪も、もしかしたら同じようになるのかもしれない」と思い、

セルフカットしたのをきっかけにその方法を取り入れてみることにしました。

 

お風呂上がりに濡れた髪にオイルを塗ると、面白いくらい髪のウェーブが出て、

私の髪とは思えないくらいの変化でした。

 

そして、「そんな髪の自分も素敵」と思えたんです。

 

自分自身の変化

これまでは、髪をストレートにすると若く見え、そんな「自分」が好きでしたが、

ストレートヘアじゃない自分もいいと思えるようになったのは、

もう「ストレートが一番」という年代じゃなくなったからかもしれません。

 

それに、数ヶ月ごとにストレートパーマをかけるのはお金も時間もかかるし、

どんな美容師さんに当たるかわからないのも地味にストレスだったんですよね。

毎回違うおしゃれな髪型にしてもらうわけでもなかったし。

 

ストレートパーマをやめて数年が経ちましたが、

元々の自分の髪質を良いと思えるようになったことで、また一つ「自分」を好きになれた気がしています。

「ずっとやりたかったこと」を探してわかったこと

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あなたには、「ずっとやりたかったこと」がありますか?

 

数年前、「ジャーナリング」に興味を持ったときに出会ったのが、

ジュリア・キャメロンさんの「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」という本でした。

 

この本の中で重要とされている「モーニング・ページ」がジャーナリングにあたるのですが、

残念なことにこの方法は私には合いませんでした。

 

だけど、読みながらその内容を実践していくと、自分の中の子どものように無邪気な自分の

存在に気付けたり、自分のやりたいことが少しずつわかってきたんです。

 

モーニング・ページ

毎朝、自分の心に浮かんだことを思いつくまま決まった量ノートに書き続けるというのが、

この本で言う「モーニング・ページ」です。

 

本では、これを続けることで頭の中がすっきりして、

やりたいことややるべきことが見えてくると言われています。

 

だけど、私の場合は書こうとしても「うーん…」とか「何を書こう」とかしか出てこず、

書けないことが逆にストレスになってしまいました。

 

朝からたくさんの考えが湧いてくる人にとっては良い方法なのかもしれませんが、

私のようなタイプにはあまり効果がないみたいでした。

 

本には「この方法が誰にでも有効」みたいに書かれているので期待してしまいましたが、

人によって合う・合わないがあるのは当然ですよね。

 

この本から得たもの

それでもこの本を読んでよかったと思うのは、

自分を大切にすることができるようになったからです。

 

「好き」を追求し「ずっとやりたかったこと」を見つける過程で、

子どもの頃の純粋な気持ちを思い出し、その小さな声に耳を傾けられるようになりました。

 

さらに何回も繰り返し「自分を何よりも大切にすること」を説いていて、

そのおかげで自分自身に対する考え方が変わったと実感しています。

 

そして、この本を読んで私がたどり着いたのがハンドメイドの世界でした。

自分の好きなことを大事にできることで、生活が充実しました。

 

アーティストではないけど

この本は「アーティスト」、つまり創造性を発揮して活躍したい人に向けて書かれています。

 

私自身もアーティストを志しているわけではないので「すごく効果的だった!」という

ことはないのですが、読んだり実践したことで興味深い発見がありました。

 

自分の中の声に耳を傾けられるようになり、自分の世界を広げることができたのは、

私にとっては大きな変化で、この本を読んで良かったと思います。

「仕事が遅い」

「仕事が遅い」と言われた経験はありますか?

 

私はパートを始めてから一度、上司に「遅い」と言われてしまい、

自分としては精一杯やっていたつもりだったのでちょっとショックでした…。

 

仕事の早さ

これまでも、試験などで自分だけ終わるのが遅かったりして

「あれ、私ってもしかして遅い?」と思ったことはありました。

 

でも、同じ仕事を同じタイミングで一斉に始めて競う機会なんてありません。

だから人と比べて自分の仕事が遅いのかなんて、わからなかったんですよね。

 

今回パート先で「仕事が遅い」と言われて、「やっぱり私って仕事が遅いんだ…」と

改めてわかりました。

 

なぜ遅いのか

私の仕事が遅いのには、3つの理由があるんじゃないかと思うんです。

 

①考えすぎてしまう

 

「これで合ってるかな?」「指示された内容、間違えて覚えてないかな?」などと、

自分の記憶ややっていることが正しいのか、いちいち確認しないと仕事が進められないんです。

 

特に、まだ慣れていない環境だったり人に見られていると、

緊張して手順やわかっているはずのことがわからなくなることもあります。

 

②完璧にしようとする

 

とにかく全てを丁寧に、完全な形で終わらせないといけないと思い込んでいました。

でも周りを見てみると、意外とみんな適当に、いい意味で力を抜いてるんですよね。

 

①、②の背景には、私が「自分自身を信じられない」ことがあると思うんです。

自分の記憶や知識が信じられない。

自分がちゃんとできていると信じられない。

だから、それで合っているのか、間違いがないか何度も確認しないと不安なんです。

 

③そもそも、自分が遅いと自覚していないので「早く」を意識していない

 

自分なりには一生懸命やっているつもりだったんですよね。

「遅い」と言われるほど時間をかけている自覚もありませんでした。

 

もし今は仕事が遅かったとしても、慣れれば自然と早くなるのだと思っていました。

 

仕事を早くする努力

これまで仕事が多少遅いのは自分の性格上仕方がないし、

とにかく熟練するしかないと思ってきました。

 

それに、「仕事の早さ」の重要性なんて考えたこともなかったんですよね。

 

だけど「全ての仕事を完璧に」ではなく、妥協しても問題ないところは妥協するなど

メリハリをつけることも大事だということを、今は感じています。

 

仕事の「質」と「早さ」を両立することは、特に私のような性質の人間には難しいように思えますが、

自分が遅いということを自覚し、「早さ」を意識しながら効率化していくことで

今からでも「仕事が早い人」を目指すことはできると思っています。

「暗い」って結局何なんだろう?

学生時代、あの子は「明るい」とかあの子は「暗い」とかって言うこと、ありましたよね。

今風(?)に言うと「陽キャ」とか「陰キャ」って言うんですかね。

 

私は当然「暗い」子でした。

自分でもそれがわかっていて、ずっとコンプレックスでした。

 

「暗い」子だった過去

友達がいなくて、いつも1人でいて、そんな自分は「暗い」し、

「暗い」子なんかよりは「明るい」子の方がいいに決まっていると思っていました。

 

求人広告によくある、「明るく元気な人募集!」って文言を見るたびに、

「暗い」人はどこにも求められていないんじゃないかと落ち込んだこともありました。

 

「暗い」って何?

だけど、「暗い」「明るい」って何なんでしょう?

「内向的」か「外向的」か?

「ネガティブ」か「ポジティブ」か?

「積極的」か「消極的」か?

「おしゃべり」か「無口」か?

 

だとしたら、「暗い」って悪いことなのか?

 

「暗い」って表現されるのは、本当は「落ち着いている」だとか「考えが深い」とか、

そういうことでもあると思うんです。

 

ただ、それを周りがネガティブに捉えてしまうだけなんですよね。

 

暗くてもいい。

私はアラフォーになった今でも「暗い」おばさんです。

よく喋る方ではないし、挨拶以外の雑談は苦手。多分、「何考えてるかわからない」って思われてます。

 

確かに内向的な人は全体から見ると少数派で、そのために生きづらさを感じる場面もあります。

それでも「私は内向的な人間である」という事実は変わらないんですよね。

 

心理学を学んだ時にそれに気がついて、「私は内向的でもいいんだ」って思えたんです。

 

ずっと自分は「変わらなくちゃいけない」って思って生きてきたけど、

「暗い」自分を無理に変えようとは思わなくなりました。

 

そして、内向的だからこそできることもあると感じるようになったんです。

 

内向的でもポジティブにはなれる

学校なんかでは特に、「明るい」子が人気者になるし「暗い」といじられたり馬鹿にされたりして、

「暗い」ことはよくないような気がしてしまいます。

 

だけど、「明るい」子もいれば「暗い」子もいる。

「暗い」子だった私も、内向的な性格を受け入れたことでポジティブになれていると思います。

 

人と違うからといって焦ったり、自分を責める必要はないんです。

 

たとえば「大きな声でハキハキと話すのは苦手」なら、接客業ではなくオフィスワークや技術職を選ぶ、

「口ではうまく伝えられない」なら、手紙など文書で伝える。

 

自分の特徴を知ることで、自分に合った道を選べるようになるんだと思います。

 

いろんな人がいるからこそ、誰にでも必ず輝ける場所がある。

どんな性格であっても、それぞれの個性を認めていけたらいいですよね。

場面緘黙の時、母親に言われた忘れられない一言

誰にでも、「忘れられない言葉」を言われた経験はあると思います。

私の場合、それは母親の一言でした。

 

場面緘黙だった子ども時代

私は子どもの頃、学校でおしゃべりができない「場面緘黙(ばめんかんもく)」でした。

そんな子ども時代に母親から言われた言葉が、今でも忘れられません。

 

当時は、場面緘黙という言葉自体が先生にもあまり知られていませんでした。

三者面談ではいつも「話さないことが問題だ」と言われ、

先生からも親からも「あなたが悪い」と責められるようで、つらかったのを覚えています。

 

忘れられない一言

その話の中で一度だけ母に、「お母さんのことも考えてよ」と言われたことがありました。

 

当時の私は「私だって自分のことで精一杯なのに、お母さんのことなんて考えられない」と思っていましたが、

その時に初めて、「お母さんも苦しんでいたんだ」ということに気がついたんです。

 

それと同時に、「私のせいでお母さんまで苦しめているのに、自分にはどうすることもできない」と

出口のない迷路の中にいるような気分になって、その時の私には泣きながら自分を責めることしかできませんでした。

 

親に対しての感情

私自身、「こんな自分を産み育てたのは両親だ」と親を恨んでいた時期もありました。

一番味方になってほしかった母親に自分を理解してもらえず、悲しかったし、つらい思いもたくさんしてきました。

 

だけど母も人間です。

我が子が小学校から高校までずっと「なぜかしゃべらない子」だったら、自分の育て方が悪かったのか、

何が悪かったのかわからず孤独に悩む中で、子どもを責めたい気持ちになる時も当然あったのだろうと思うんです。

 

あの時の言葉が「子育て」とか「教育」という意味で正しかったのかはわかりませんが、

自分しか見えていなかった私に小さな気づきをくれたことは間違いありません。

 

今は、自分の親を責めたいとか、育て方を間違われたなんて思う気持ちはなく、

むしろ自分自身が母親になったことで親の気持ちやこれまでしてもらってきたことがわかるようになり、

素直に感謝できるようになりました。

 

大した親孝行はできませんが、今年も母の誕生日には好きな花を贈る予定です。

行動力が無さすぎて

「何かに挑戦してみたいな」と思っても、なんだか自信が持てなくて一歩踏み出せないことってありますよね。

私も、不安を感じやすい性格のせいか、考えたことを行動に移すのが苦手なんです。

 

行動に移すことのハードル

さすがに、「思ったことは何も考えずに即発言」とか、

「思いついたら何でも即行動」は問題があると思いますが、

 

私みたいに、「思っていても結局何も言えない」とか「考えて考えて結局何も行動しない」

という風になってしまうと、その場は平和におさまるかもしれませんが、

最終的につらかったり困るのは自分自身なんですよね。

 

例えば夫に言いたいことがある時、それをぐっと飲み込んだり、

挑戦してみたいなと思った仕事に応募できない。

 

「これを言ったら、どう思われるだろう?」

「イメージと違うことをしてびっくりされないかな?」

「おかしなことじゃないかな?」

「もし受け入れてもらえなかったら、どうしよう?」

「勇気がいるし…」

「書類を準備するのが大変だし…」

 

そうやって、あえて心理的なハードルがあることは「しない」という選択をしていたんです。

それで、自分の心を守っていたつもりだったんです。

 

行動しないことの代償

だけど、それは間違っていました。

 

「しない」選択を続けた結果、夫とは理想の関係を築けず、自分のキャリアにも自信が持てない。

気がつけば心も、つらく苦しい。

「こんな生活は続けたくない」と思うようになってしまったんです。

 

そうなって初めて、「私は自分の気持ちをないがしろにし続けてきたんだ」と気づきました。

 

本当の自分の気持ちを声や行動という形にしないことで、

その気持ち自体を「なかったこと」にしてしまう。

 

自分が自分自身の気持ちを認めてあげられないことで、自己肯定感を下げることにつながってしまうんです。

 

我慢して得られるものなんて、ひとつもなかった。

むしろ、自分を少しずつ傷つけていたんです。

 

今、心がけていること

だから、今は「言いたいことは我慢しない」、「考えすぎる前に行動する」ということを意識しています。

 

「完璧にする必要はない」ということも大事です。

自分としては「完璧!」と思ったものを人に見てもらいたくなりますが、

今は「60点くらいでOK」にしています。

 

それから、「人がどう思うかを気にしない」。

子どもの頃から、「人にどう思われるか」、「人にどう見られるか」をずっと気にしながら生きてきました。

日常の返事ひとつ、メールの返信ひとつに「おかしくないかな」と神経質に何度も確認していたほどです。

 

でも、誰も自分が気にするほど私のことなんて見てはいないし、

多少間違ったり変な部分があっても、大丈夫。

 

特に、私みたいに気にしすぎてしまうタチの人は、

多くの人が見てギョッとしたりびっくりするような変なことはしでかさないので、

逆に「何も気にしない」くらいの心持ちでいいと思っています。

 

「ポジティブに考える」ことも大切です。

「失敗したらどうしよう」とか、「無理かもしれない」といった、ネガティブな妄想が

出てくると、行動を起こすことが怖くなってしまいます。

 

「失敗するかも」「できないかも」という思いが出てきたら、

それは=(イコール)「成功するかも」「できるかも」と言い換えてみる。

 

これは私の中ではかなり効果的な方法でした。

 

そうやって行動できた自分に少し自信が持てたり、「今を精一杯生きている」と思えるようになりました。

 

「やらなかった後悔」をしたくない

これまで、「やったことへの後悔」ももちろんありましたが、

「やらなかったことへの後悔」もたくさんしてきました。

 

だから、これからの人生は「挑戦しなかった後悔」をしないように生きたいと思うんです。

失敗しても、間違っても、恥をかいても、誰にどう思われても、関係ない。

気にしないことにしたんです。

 

挑戦したこと、行動したこと自体が、経験値や学びになる。

絶対に意味を持っているって思うんです。

 

もし、行動力がないと悩んでいる方がいたら、少しでも参考にしてもらえたら嬉しいです。